中性子/ミュオンで摩擦を見る

摩擦や潤滑、摩耗といった現象について、マクロな現象を観察するのは決して難しくはありません。摩擦の大きさをや摩耗の程度を測るのも容易です。しかしそのメカニズムを明らかにしようとすると途端に大きな困難が立ちはだかります。一つは摩擦という現象が非常に複雑な現象であるということです。異なる材質のものが様々な条件で接し、その界面でマクロからミクロまで異なるスケールで異なる現象が起きています。さらに、それらの現象を把握することを難しくしているのは、それが物と物が接する場所で起きているということです。実際の現象が起きている場所は対象物にさえぎられて見ることができません。

これまで、物質の表面で起きているミクロの現象を観察するためには、走査型電子顕微鏡などが使われてきました。走査型電子顕微鏡は物質表面のナノオーダーの構造を観察することはできますが、表面を露出させなければなりません。そのため、物と物が接し、圧力がかかった状態、つまり摩擦が起きているその現場を直接見ることはできませんでした。

そこで、わたしたちはこの物と物が接する場所を”見る”ためのツールとして、中性子とミュオンに注目しました。中性子とミュオンは加速器で作り出すことができる物質です。これらの粒子は透過力が高く、対象を壊すこと無くその内部を透過して観察することができるという特徴を持っています。言ってみれば、摩擦や潤滑という現象が起きているまさにその場所を観察することができるのです。

私達が利用する世界最大の陽子加速器施設J-PARCでは、エネルギーが高く透過力の高いビームから、エネルギーが低く透過力の低いビームまで、ミュオンのビームを調節することで観察する深さのスケールを自在にコントロールできます。また、中性子でもビームの入射角を調節することで透過力をコントロールすることができます。これにより、深さ方向で起きている現象の違いをとらえることができます。

また、私たちが利用しようとしている中性子とミュオンはそれぞれ見えるもののスケールが違います。ミュオンは原子や分子の振る舞いなどの原子スケールの現象を、中性子は分子鎖の構造や振る舞い、分子鎖どうしの相互作用などメゾスケール(ナノメートルからマイクロメートルの間)の現象を捉えることができます。つまり、摩擦という現象を様々なスケールから、多角的にとらえることができるということです。

この中性子とミュオンを使ったトライボロジーは、これまでほとんど試みられてこなかった全く新しい手法です。そこにはこれまで誰も見たことがなかった世界が広がっています。その世界で起きている現象への理解が進めば、様々な技術への応用が期待できるでしょう。さらには、新しい物理現象を見つけることができるかもしれません。中性子とミュオンを使ったトライボロジーは、科学と技術の両面で新しい扉を開く可能性を秘めているのです。